The Kyushu ADVANTAGEが目指すコーポレートメッセージ(その2)

 世界はグローバル化に向けてまっしぐらという時代になってきました。大手企業だけでなく国内の中小企業も、海外市場やインバウンド市場を大いに注目しています。

 これまで、日本は海外に向けてどれくらいアピールしてきたのでしょうか。歴史をさかのぼってみますと、マッカーサー元帥が連れてきた米国の記者団から始まります。それは今有楽町にある外国人記者クラブ、正確には日本外国特派員協会になっています。弊社も海外メディアにPRしたいとき記者にここで投げ込みをしていますが、現在では100部投げ込む必要がなくなってしまいました。80から90年代は海外の記者は300人以上いたらしいですが、そのほとんどは香港やシンガポールに移りました。今では日本からは特別な記事しか出ません。

 そもそも80-90年代は海外向け広告のブーム期でした。Japan As No.1と言われた80年代のバブル期に資金調達も海外ファイナンス絶世の時代に入り、また当時メディアでの公示義務もあったことから、「今度○○企業の株を売り出す」というアナウンス広告、いわゆるツームストーン広告出稿が盛んでした。これは墓石広告と言われるように株や債券の売り出し、発行の時期や規模を何行かで記すだけの広告でした。

 この当時は海外マーケット拡大や円高から大手企業の海外工場移設にともない下請けメーカーや、また進出する企業をサポートする金融機関がこぞって海外に支社・支店を構え、まるで護送船団型グローリズムのようでした。

 当時日本製製品が欧米で高く評価される一方、日本企業への風当たりも強くなります。そこで各企業は「私たちはフレンドリーな企業である」ということをアピールするためにストーリーを中心とした広告を出します。これが海外向けアドバトリアル(記事体広告)の始まりです。

 当然ですが、この時代が日本の海外向け広告の全盛期で、海外メディアの記者たちも毎日のように日本のことを取り上げていました。

 バブル崩壊後の失われた20年は、ご存じのように円高やアジアの競争の激化から、人件費削減や国内設備投資減少など貧困の輸入と言われる現象に見舞われました。

 しかし、アジアの富裕層の出現により、ここにきて再び日本ブランドが再評価されています。また、これからの中間層の拡大は今までと違った市場が生み出される可能性も秘めています。

 そのために日本の、九州のストーリーをブランドに変えていきたいとThe Kyushu ADVANTAGEは考えています。

The Kyushu ADVANTAGE プロデューサー
(株)ジパング・ジャパン代表 吉野 晋吾

投稿者:

ジパング・ジャパン

「にっぽん」を世界へ、情報発信していく会社です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください