清野裕司のマーケティング・コラム/風を聴く (第85話)

第85話:年度替わりの4月は「志」の季節でもあります。

 新しい動きを実感する季節を迎えました。暖冬傾向の影響でしょうか、冬でも縮こまるような姿勢は少ないものの、やはり身も心も弾むのは、桜の開花と共にある4月です。周りの景色の中に、それまでとは違った存在の人種が入り混じるのもこの季節。フレッシャーといわれる新社会人の姿です。

 学生時代そのままの髪型でスーツを着込んでいるからか、何となく不似合いな雰囲気が残ります。それも止む無しでしょう。卒業謝恩会で見られる女子学生の着慣れない着物姿に似ています。今までの日常と異なる時の流れの中に身を置くことになります。当然、リズムも異なったものにならざるを得ないもの。姿かたちは、まだ板につかないものの、その心の中にあるものに大いに期待したいものです。

 未来に向けて描いているであろう自分自身の姿。自らの心が、どちらの方向を向いているのかを確認して欲しいと思います。心が指す。まさに「こころざし=志」です。何となく茫洋とした意志かもしれません。「自分探し」という言葉も聞きます。自分が何に向いているのか分からないので、固有の職を持つことなく、自分の可能性を探すとか。しかし、考えをいくら巡らせたところで、自分自身の実体が浮かんでくるとは思えません。先ずはやってみることではないでしょうか。

 好きなことを一生続けられると幸せ、とも言われます。しかし、志は決して好きなことばかりを迎え入れてはくれません。嫌なこともある。意に沿わないこともある。ただ、嫌だと思ったことも、次なる自分を生み出す術と心得た時に、嫌なことではなくなるものです。自分の心と会話をしたかどうかが問われています。

 「心こそ、心惑わす心なれ。心に心、心許すな」と昔から言われます。心が指し示す方向を持った若者に、この4月、何人出会うことがあるのか、心してその時を待ちたいと思っています。(第86話に続きます)

 

清野氏 法政大学 講義

株式会社マップス 代表取締役 清野 裕司

Eメール: maps@mapscom.co.jp

URL: http://www.mapscom.co.jp

 

books

 

 

 

清野裕司氏の書籍はアマゾンページからご購入いただけます。

(写真をクリックしていただくとアマゾンページに移動します)

 

 

清野裕司のマーケティング・コラム/風を聴く (第84話)

第84話:春は気も「張る」時。合わせて「意(い)」の時だと思います。

 今年も桜の開花宣言。ただ、その後の寒さもあり、満開のタイミングは暦通りだったように感じます。国の会計年度も変わり、一般的には新年度の4月。心弾ませて新しい分野へと足を踏み入れた若者も多いことでしょう。また一方で、何をすべきかと逡巡しながら、何もしていない者もいるかもしれません。世はさまざま。しかし、その人に与えられた人生は、その人だけにしかない限定的なものです。あえてこの季節、新しいことを始める気分が張り詰める春(「張る」を語源とするという)に一言。

 歌の文句ではないが、まさに人生いろいろ・・・である。そのいろいろを生み出すのは、本人の「意志」がどこにあるかにかかっている。何となく「自分のやりたいことがわからない」といった「意見」らしき声を聞くこともあるが、そもそも自分のやりたいことは、「意中」のものとして浮かんでくるものだろうか。先ずは、やってみることが必要なのではないか。何となくぼんやりと考えるくらいなら、試してみようとの「意気込み」が必要ではないのか。ある分野や方面に向かおうと自分の「意向」を固めたとしても、「意のまま」にならないのが世の常。だからこそまた迷う。混迷の中から、自分自身の「意思」が薄ぼんやりとではあるが浮かんでくるもの。

 実行することもなく、その場に止まっていたのでは、新しい動きは当然見えてこない。人生の「意義」や生きることの「意味」などといった肩肘張ったことを言いたいのではない。やってみなければわからない自分の適応力を、さもわかったように評論していたのでは、明日が見えないと危惧している。

 「意気」だけですべてがうまくいくわけではない。しかし、自分を鼓舞する「意気込み」なくしては、新しい時代の動きを生み出すことは出来ないと思っている。「意のあるところに道は拓ける」ものである。

 ものごとの初歩をして「いろはのい」とも言います。してみれば、桜が咲き誇る頃は「意」を確認する「い」の時だと、私は思っています。(第85話に続きます)

 

清野氏 法政大学 講義

株式会社マップス 代表取締役 清野 裕司

Eメール: maps@mapscom.co.jp

URL: http://www.mapscom.co.jp

 

books

 

 

 

清野裕司氏の書籍はアマゾンページからご購入いただけます。

(写真をクリックしていただくとアマゾンページに移動します)

 

 

清野裕司のマーケティング・コラム/風を聴く (第83話)

第83話:「郷に入れば・・・」を伝えるのは、自分の心と行動だと思います。

 日常はほとんど私鉄を使って移動しています。週末といっても、各駅での乗降の混雑は普段とさして変わることがありません。しかも最近は、目的の駅で降りようとしても、ドアの側から決して離れることなく、頑として動こうとしない御仁に出会う頻度も高くなり、なかなか人の合間を縫って器用にステップを踏んでいかないと、所定の時間内に乗り降りが完了しないことすらあります。

 土曜日の日中は、ウィークデイよりは若干処しやすいかと思っていても、今度は若い学生や子供づれの登場で、やはりなかなか思うようにはいかないもの。

 最近の土曜日に出会った私鉄駅での出来事。

 いつものように電車が駅に滑り込む。幾つかの地下鉄が交差する主要駅です。降りる人も数多い。ドア近くに立っていた私も、一旦降りてから再度乗った方が邪魔ではなさそうだ。降りようとした時に青い眼の少年と眼が合った。小学校高学年か中学生くらいに見えた。降りてくる人の間から乗り込もうと身構えている様子。その時、少し遠くからの厳しい声“Stop!”。彼の母親であろう。「ドアの横に立って道を開ける」ように指示している。少年は素直に通り道を空けて側面に立った。私は彼の眼を見て微笑みました。

 再度乗り込んで、私が降りる駅。ここもかなりの混みよう。さあ着いた、の思いでドアの方に進む。今度は日本人の少年が脱兎のごとく乗り込んでくる。まだ、多くの人が降りる途中である。少し遠くから厳しい声が聞こえる。「早く!早く!」。どうやらその子どもの母親らしい。「早く乗り込んで席を確保する」ように指示している。

 日本人の道徳心とは何なのでしょうか。「郷に入れば郷に従え」=“When in Rome,do as the Romans do.”

 さあ、われわれは日本の日常的な道徳心を、どう伝えれば良いのでしょうか?(第84話に続きます)

 

清野氏 法政大学 講義

株式会社マップス 代表取締役 清野 裕司

Eメール: maps@mapscom.co.jp

URL: http://www.mapscom.co.jp

 

books

 

 

 

清野裕司氏の書籍はアマゾンページからご購入いただけます。

(写真をクリックしていただくとアマゾンページに移動します)

 

 

清野裕司のマーケティング・コラム/風を聴く (第82話)

第82話:「今時の・・・」が持つ意味は何を表わしているのでしょうか。

 農業技術の進化や国際的物流ネットワークの整備があるからでしょうか、最近のスーパー店頭では本来持っていた季節感とは異なる果物が多く並んでいます。ブドウといえば「秋」であったと思うのですが、4月には味わうことが出来ます。イチゴといえば「春」を告げるものと心得ていましたが、今は真「冬」の時から店頭に並び、Xmasは勿論のこと、正月の食卓にすら並んでいます。5月にはスイカ。スイカといえば「夏」の風物詩。幼い頃は、外で遊びまわって帰ると、流し水に浸ったスイカを切り分け、頬張ったものです。

 「季節の果物」という言葉自体が、既に時代を言い表していないのかもしれません。季節感と言うよりも、今店頭に並んでいるものが「今時の果物」であって、四季折々の感性などは問わないのかもしれません。とは言いつつも、自分自身が味わったものは、その折の心象風景と共に浮かび上がってくるもの。「5月の西瓜」はそれなりの味が保証されているのでしょうか。少しは気になります。そこで、商品を並べている店の責任者と思しき人に聞いてみる。「このスイカ、甘いですか・・・?」と。売り手からは、「そうだね、まぁ、今時のスイカだから・・・」とのコメント。

 そのこたえをどう解釈するかは、客サイドの私の判断に任せられます。ただ私には、「スイカは夏。今は決して夏じゃないのだから、季節を実感することは保証できないけれど。」と聞こえます。「今時の」の解釈は実に多岐にわたるもの。とすれば、「今時の若者」や「今時の会社」といった言葉には、どのような意味が隠されているのでしょうか。「以前に比べれば・・・」でしょうか「本来は・・・」でしょうか。

 過去にこだわることを善しとはしないものの、季節を感じる暮らしはしたいと思います。とすれば、自然の営みを通じて知る「今時の・・・」は何をもって知ればよいのかと、ふと思う店頭に並ぶ果物たち。(第83話に続きます)

 

清野氏 法政大学 講義

株式会社マップス 代表取締役 清野 裕司

Eメール: maps@mapscom.co.jp

URL: http://www.mapscom.co.jp

 

books

 

 

 

清野裕司氏の書籍はアマゾンページからご購入いただけます。

(写真をクリックしていただくとアマゾンページに移動します)

 

 

清野裕司のマーケティング・コラム/風を聴く (第81話)

第81話:今は「ない」ことが繰り返される社会のよう思えます。

 通勤電車の車両の中で、高校生の男女が頬を寄せ抱き合って立っていました。通学途上でしょうか。そもそも学びの場に向かう姿勢には見えません。それ以上に公衆の面前での振る舞いとは思えない情景です。かといって「みっともない(=見るに耐えない)」からやめなさい・・・との声も上がりません。多くは眼をそらしています。それよりも、あたり構わぬ大きな声での会話。ひと時動物園のサル山の風情を感じます。

 その少し離れたところで、鏡を出して髪を整えているOLと思しき女性がいました。これもまた「みっともない」と本人は少しも「思っていない」。日本の女性の特徴であった「さりげない」おしゃれ感覚は、決して全てを「さらけ出さない」、ある一面は隠すところに風情があったようにも思うのですが。

 TVのバラエティ番組を見るでもなく見ていました。最近はやりのお笑いタレントが登場して「くだらない」「なさけない」という言葉が飛び交います。その「くだらない」内容を真剣な眼差しで見る観客と、その場の雰囲気を映像で見る自分も含めた視聴者。演じていることや会話自体が「くだらない」とは誰も言いません。多少のしかめっ面が見えるだけです。

 昼に定食屋に行きました。近隣の競争を意識して、質もそうですが見せかけのボリュームを競う店もあります。特段の「愛想もない」店のサービス。若い女性では到底「食べきれない」量をサービス、と言い切る店もあります。食べ残す。誰も「もったいない」などとは言いません。食べられない量を出す店が悪いのであって、自分には何の非もない、といった顔つきです。米一粒食べ残すことに「もったいない」と親に叱られた世代からすると、何とも「やるせない」思いがあります。

 朝から夕刻までの一日。「~ない」と思いながら、声に発して言う機会も「ない」ままに、目の前の風景が流れていきます。これも今の情景なのか、「しようがない」ことなのか。しかし、どこか「切ない」と思ってしまいます。(第82話に続きます)

 

清野氏 法政大学 講義

株式会社マップス 代表取締役 清野 裕司

Eメール: maps@mapscom.co.jp

URL: http://www.mapscom.co.jp

 

books

 

 

 

清野裕司氏の書籍はアマゾンページからご購入いただけます。

(写真をクリックしていただくとアマゾンページに移動します)