エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第97話)

第97話:トランプノミクスの肝となるシムズ論

 今年8月、米ジャクソンホールで米国のノーベル賞経済学者、クリストファー・シムズ教授が、「金利がゼロ近辺まで低下すると量的緩和は効かなくなり、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシートを損ねる。今後は減税も含めた財政の拡大が必要」と指摘した論文を発表したことが話題となっている。実際、日本はこの事例研究の先駆けになりつつあり、安倍政権内部では緩和策の効果を高めるため「金融緩和と財政支出の合わせ技で」という機運が強まっている。

 一方、米大統領選に関して、トランプ氏が勝利すれば円高ドル安になると言われてきた。だが、大方の予想を覆して円安・ドル高が進んでいる。トランプ大統領誕生によりドルが主要通貨に対して全面高となった一つのカギは、トランプ氏の税制や財政に関する提案である。つまり、トランプノミクスと為替の関係を比較するのがより理解しやすい。

 トランプ氏の税制に関する提案に基づけば、法人税率を現行の35%から15%に引き下げ、所得税率の区分を7つから3つに簡素化し、最高税率についても39.6%から33%に下げるとしている。こうした大幅減税は、財政赤字拡大を通じて長期金利上昇要因となり、ドル高を促すことになる。一方、トランプ氏の財政に関する提案に基づけば、簡便的な雇用創出の手段となる公共事業、すなわち道路や水道、鉄道など老朽化したインフラ投資に対して、今後10年間で5500億ドル(約60兆円)支出することを公約に掲げている。これもまた、財政赤字拡大を通じて長期金利上昇要因となり、ドル高を促すことを連想させる。

 伝統的な政策理念に従えば、共和党は自由や資本主義を尊重し、政府は最小限の介入に抑える小さな政府を目指すため、財政赤字を増やす公共事業に慎重であった。しかし、90年代後半以降に進展した急速なグローバル化により、国民の富の片寄りなどの格差が広がる動きが強まった。このため、トランプ氏のある程度の大きな政府を容認する政策が支持され、これが財政の役割を重視したシムズ論の考えに沿っていると認識されている。

 事実、8月のジャクソンホールの公演でシムズ教授は「金融緩和が効果を発揮するには、財政政策の裏付けが必要」との見解を披露している。この見解により、積極財政で米景気が良くなると市場が判断し、結果としてドルが強くなるのは当然の帰結である。

 日本やEU等が典型であるが、これまでは緊縮財政を維持したまま金融緩和で景気の下支えする政策が主流であった。つまり、金融緩和のアクセルを踏みながら緊縮財政のブレーキをかける政策だ。しかし、この政策では充分な景気浮揚はならず、デフレリスクが依然として解消されていない。そこで注目されているのが、金融政策のみではインフレ率の長期的変動をコントロールできないとする物価の財政理論(FTPL)だ。FTPLでは、物価水準を決めるのは金融政策ではなく財政政策である。このためFTPLでは、政府と中央銀行のバランスシートを連結した一体運営が仮定されており、金融政策の限界を念頭にデフレで金融政策の効果が低減する中、金融政策と財政政策を一体運営することで物価に働きかけることが示される。(第98話に続きます)

永濱 利廣 氏

第一生命経済研究所
経済調査部 首席エコノミスト
永濱利廣

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第96話)

第96話:経済統計の抜本的改革案

 前回、GDP統計の問題点の改革案について指摘したが、最もシンプルで根本的な対応は、振れの原因となっている法人企業統計季報を基礎統計として採用することを取りやめることであろう。家計調査や法人企業統計に代表されるような需要側統計の採用を取りやめ、生産関連など供給側統計を中心とした推計に切り替えることは、元々供給側統計を中心に推計されている確報との整合性を高めることにもつながる。さらに、実質GDP成長率の四半期ごとの変動のブレを小さくすることにもつながることが期待される。法人企業統計とならんで需要側統計の代表格である家計調査が成長率のブレの一因になっているとの意見が民間エコノミストの中でも強い。このように、供給側統計中心の推計に一本化することは早急な対応が求められる。さらに、需要側推計値と供給側推計値の早期公表も望みたい。

 また、一次統計で圧倒的に不十分な分野に、速報性の向上がある。我が国の統計は他の先進国、特に米国等と比べて全般的に調査結果の公表が遅く、公表までに時間がかかるとの批判が多い。こうしたことは、企業の経営判断や政府の迅速な経済情勢の把握を妨げ、適切な政策運営の障害となる。特に、景気関連統計には速報性が求められるものが多いことからすれば、集計の迅速化や作成方法の改善等によって、できる限り公表を前倒しする必要があろう。

 結局、経済社会の急速な構造変化が進む中、既存の統計手法が変化に適切に対応しきれず、統計と経済実態とのズレが顕著となっているが、こうした変化への対応の遅れは経済主体の意思決定の質を低下させる恐れがある。従って、統計が経済社会の変化を的確に反映した情報を提供するよう不断の見直しが求められる。

 更に、統計の国際比較の改善も求められ、特に時系列での比較可能性を高める工夫が必要であろう。同時に、各種統計が多数の省庁により実施されているため、統計の整合性や利便性の面で問題が生じるケースも多く、経済統計の一元化管理を進める必要がある。併せて、政府の有する統計情報の公開を一層推進し、透明性を高めていくことも重要である。

 なお、経済統計の改善を図っていく上では、個別の問題点の対応だけでなく、統計作成にあたる組織や予算面を含めた統計行政の抜本的見直しが必要となろう。主要な経済統計については、企画・立案面でも可能な限り集中化することが合理的と考えられる。そして、経済統計の企画・立案が集中化されれば、多くの省庁にまたがる所轄業種の垣根にとらわれない横断的・整合的な統計整備が可能となり、統計調査の重複排除にもつながると考えられる。

 経済社会のグローバル化・IT 化や、企業組織形勢の多様化などが進むに伴って、経済実態を把握する上での経済統計の役割はますます重要となっており、経済運営に当たっても、信頼できる経済統計による現状把握が不可欠である。従って、現在の厳しい財政事情の下においても、統計予算全体の拡充も検討されるべきである。(第97話に続きます)

永濱 利廣 氏

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第95話)

第95話:GDPの問題点と改革案

 多くの民間エコノミストは、GDP速報の問題点として1次速報から2次速報への改訂幅の大きさを挙げている。実際、一次速報から二次速報への改定幅の大きさを確認すると、実質GDP成長率のかい離幅は2002年以降の平均で0.8ポイントとなる。特に、2014年7-9月期は一次速報と二次速報で成長率の符号が逆転した。この時は2014年4-6月期がマイナス成長であったため、二期連続マイナス成長を景気後退の定義とするテクニカルリセッションとなるか否かのタイミングだった。その時点で成長率の符号が逆転したことが、市場関係者の不満をより高めている。現行の推計方法に基づくGDP速報は景気判断を行う指標として重大な欠陥を抱えているといわざるを得ない。

 こうしたかい離の主因は、2次速報で法人企業統計季報の情報が加わることで、設備投資と民間在庫の推計値が大幅に修正されることである。そもそも法人企業統計は、資本金一億円未満の抽出率が低く回答率にもばらつきがあるため、中堅・中小企業に関するデータが不安定であり、サンプル替えの際に調査結果に連続性が損なわれることや、公表時期が遅いという問題がある。この背景には、資本金1000万円以上の営利法人における財務諸表を広範に調査していることがあろう。

 家計調査の改善策としては、今後はよりマクロの消費動向をとらえやすくすべく、例えば調査項目を限定してサンプルを拡大した家計消費状況調査をメイン指標とし、家計調査をサブ指標として取り扱うことが考えられよう。総務省は2001年10月より約3万世帯を調査対象とした大サンプルの高額商品購入調査として『家計消費状況調査』を開始し、2002 年から公表している。これは、調査項目を高額商品・サービスへの支出やIT 関連消費支出に限定する代わりに調査世帯を拡充することにより、消費動向を安定的にとらえることを目的としている。市場での認知度は低いが、日本銀行等では個人消費の需要側の統計として家計調査よりも消費の実態を表していると見ており、家計消費状況調査を重視している。しかし、家計消費状況調査がGDPの個人消費の推計に反映されるのはごく一部であり、かなりの部分は家計調査が使われることからすれば、GDPの実態も統計から乖離している可能性があるといえる。従って、GDP速報の推計についても、もし需要側からの推計を継続するのであれば、統計精度の維持・向上を図る観点から可能な限り家計消費状況調査の結果を活用する等の改善策を検討すべきである。このように、個人消費の実勢を判断するには、家計調査よりもサンプル数が多く安定的な動きをする家計消費状況調査をメイン指標として見ることが重要といえる。ただ、問題なのは、調査対象世帯が多くデータ収集にも時間を要する等の理由から、速報の公表時期が当該月の翌々月上旬と遅い。このため、現在の当該月の翌月下旬となっている家計調査の公表時期を遅らせる等して、家計消費状況調査の公表を現在の家計調査並に早めるべきであろう。更に、家計消費状況調査については、実質値や季節調整値が無い等、データが充実しておらず、消費のメイン指標としては物足りない。従って、メイン指標とするにはデータを拡充することが求められよう。(第96話に続きます)

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第94話)

第94話:経済指標(一次統計)の問題点

 景気の先行きについては一段と注目が集まっており、その判断材料となる経済指標の役割も高まっている。特に、家計調査や毎月勤労統計調査、法人企業統計季報は実態を捉えているのか、GDPの速報値はなぜここまでぶれるのか等、政策判断への影響が大きいため、これら経済統計の信頼性について関心が高まっており、内閣府の統計委員会でも改善に向けて検討が進められている。

 こうした中、一次統計で最も問題点が多いのが、総務省『家計調査』である。家計調査は、家計が購入した財・サービスに対する全ての支出を網羅していることに加え、調査世帯の収入や品目別の消費支出など詳細なデータを提供している。そのため利用価値が高く、消費動向を見る上でも重要な判断材料とされてきた。こうしたことから、GDP速報の民間最終消費支出の推計にも用いられているが、家計調査については従来から「消費の実態を反映していない」等の批判がある。この主たる原因としては、調査サンプルの少なさが挙げられる。

 具体的には、家計調査の調査対象のうち「二人以上の世帯」は全国で約3500 万世帯に達しているが、家計調査における調査世帯数の約8000 世帯は全世帯数の約0.02%にとどまっている。特に、自動車など購入頻度の少ない高額消費がサンプル世帯に集中した場合、全体の消費がかく乱される傾向があることや、定義の近い家計調査の実収入が毎月勤労統計の結果と大きく乖離することは、消費動向を把握する上で大きな問題点とされている。また、日々の詳細な支出内容にわたる調査であるため、報告者側の負担も大きく、調査に応じる世帯の偏りがあるとの指摘もある。更に、家計調査は単身世帯も調査対象としているが、単身世帯数が全国で約1300 万世帯に達しているのに対して、家計調査における調査世帯数は約750 世帯と全世帯数の約0.006%に過ぎず、精度面では二人以上世帯よりも大きな問題があるといえる。一方、近年では統計環境の悪化も指摘されている。女性の社会進出が進む中で、家計調査のように報告者負担が大きい調査に応じられるケースは大幅に減少していると思われ、こうした傾向が進めば統計の精度が更に低下する恐れもある。このように、統計調査環境の悪化が進む中にあっては、もはや家計調査は月次の景気指標としては限界があるものと考えられる。

 一方、厚生労働省『毎月勤労統計』の問題点としては、何と言ってもサンプル替えの問題により遡及改定幅が大きいことがある。特に現金給与総額では、サンプル替えに伴うギャップ修正により過去に遡って変化率が改定されることが、大きな問題点として指摘されている。他方、財務省『法人企業統計季報』における最大の問題点としては、資本金一億円未満の企業の抽出率が低く回答率にもばらつきがあることから、中堅・中小企業に関するデータが不安定であり、毎年四月のサンプル替えの際、調査結果に連続性が損なわれることである。こうしたことから、雇用者や人件費の変動を見ても、他の労働関連統計と連動しないことも指摘されている。(第95話に続きます)

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第93話)

第93話:日本経済を占う上で、2017年の着目すべきイベント

 2016年の日本経済は実質GDP成長率が3期連続でプラス成長になる等、表面上持ち直しの動きを見せた。しかし、プラス成長の主因は輸入の減少や個人消費の底入れであり、一方で海外経済の減速や円高等に伴う設備投資の停滞が成長率の足を引っ張ったため、自律的な回復とは言えない。

 こうした中、2016年秋以降になって漸く主要国の生産循環が上向き始めてきた。背景には政策効果等による中国経済の回復や原油価格の戻しがある。従って、世界的な生産循環の好転と期待インフレ率の上昇を加味すれば、2017年の日本経済は2016年よりやや好転することが見込まれる。

 しかし、トランプ大統領就任による政策の不確実性には注意が必要だ。後に指摘するが、金融市場の変動や通商政策の行方を通じた米国経済次第では、上振れ・下振れ双方のリスクがある。

 このため、2017年の着目すべきイベントは海外が中心となろう。最大の注目イベントは1月の米国新議会・新政権の誕生である。トランプ氏の経済政策は、大型の減税やインフラ投資等をはじめ、大型の財政政策を計画している。このため、トランプ政権の大型財政政策の規模やメニュー等を巡る議会との調整には注目だろう。

 一方でトランプ氏は、NAFTA再交渉やTPPからの撤退等、貿易障壁の導入や厳格な移民政策も主張している。こうした保護主義的な傾向の強さ等は、議会共和党と距離がある。ただ、通商政策は大統領権限を発揮しやすい分野であり、議会の制御が効きにくいという意味では、保護主義化のリスクは小さくない。従って、トランプ氏の過激な提案を議会がどこまで修正できるかも焦点となろう。

 日本経済への影響としては、大規模な財政支出の期待で円安株高が持続されれば日本経済を押し上げる一方で、NAFTA脱退や厳格な移民政策が実行されれば、世界貿易の下押しを通じて日本経済にも悪影響が波及する可能性もあるので注意が必要である。

 欧州でも、2017年は議会選挙などの政治イベントが目白押しだ。いずれの国でもEUに懐疑的な政党の勢いが増しており、欧州政治不安への懸念が燻っている。3月には英国とEUの離脱協議開始やオランダの下院選挙があり、EU会議政党である自由党が第一党となる可能性がある。4~5月にかけてはフランスで大統領選挙があり、こちらもEU会議政党である国民戦線のルペン党首が決選投票に進む可能性が高い。更に8~10月にかけてはドイツ議会選挙があり、現与党が議席を減らす可能性が高い。更に、今月4日の国民投票で憲法改正案が否決されたイタリアでも政局が流動化している。

 従って、こうした米欧政治の不確実性の高まりが、賃上げ抑制や設備投資先送り等を通じて日本経済の下押し要因になりうることが懸念される。また、今後のトランプ氏の言動や欧州政局次第では市場が大きく変動するリスクもあることには注意が必要だろう。(第94話に続きます)

永濱 利廣 氏

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