エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第35話)

第35話:成長戦略に不可欠なTPP合意

 安倍政権の成長戦略で、第3の矢の目玉であるTPPが締結されないと、成長戦略が後退してしまう可能性がある。

 安倍政権の成長戦略は、端的に言えば「日本をビジネスがしやすい国にするよ」ということである。では、なぜ日本はビジネスがしにくい国なのか?昔から日本には「産業の六重苦」があると言われている。

 六重苦のうち、TPPに関係するものに、経済連携協定の遅れ、労働規制の厳しさ、エネルギーコストが高いことが挙げられる。

 署名済みのものだけカウントすると、日本は主要国の中で経済連携協定の締結が最も進んでいない国となる。しかし、多数の国が参加するTPPが合意できれば、経済連携協定の遅れは大きく巻き返せることになる。

 労働規制の厳しさもTPPでビジネス環境もある程度統一されれば進む可能性がある。エネルギーに関しても、資源がある国と経済連携を組んで、できるだけ資源を安く調達するのが喫緊の課題であり、TPP合意がカギを握る。

 アメリカのシェールガスの輸出は、経済連携を組んでいる国に限定されているが、来年日本もアメリカのシェールガスを輸入できることが決定したのは、日本がTPP交渉に参加しているからである。

 さらに、TPPが実際に合意に至れば、チリなどの資源国から資源を優先的に輸入ができる。新たにシェールガス開発に取り組んでいるカナダとも日本の商社が合同で開発できるはずである。

 今回TPPが合意に至らなければ、この産業の六重苦を打ち破れず、経済政策の期待も下がる可能性がある。安倍政権への支持を支えているものは、株価が高水準なところである。先日、TPP合意が見送りになった際も株価が下落しており、合意が決まらなければ株価にも影響が及ぶ可能性がある。

 万が一、TPPが流れてしまった場合、各国と個別に経済連携協定を締結していく道を政府はとらざるを得なくなる。現に、今も日豪経済連携協定や、欧州連合(EU)との経済連携協定の話も進んでいる。

 政府の持っている青写真は、アジア太平洋地域において包括的で経済連携の強化を目指す米州自由貿易地域(FTAA)や、日中韓印豪NZの6カ国でつくる東アジア地域包括的経済連携(RCEP)なども含め、世界全体で経済連携を組むということである。しかし、やはりTPPが合意に至らない限り、この構想を進めることはより困難になっていくだろう。(第36話に続きます)

永濱 利廣 氏
永濱 利廣 氏

第一生命経済研究所 経済調査部
主席エコノミスト 永濱利廣

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永濱利廣著
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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第34話)

第34話:TPPの本丸は直接的経済効果にあらず

 TPPは、関税の直接的なメリット・デメリットのほかにも、環太平洋地域内でビジネス環境が統一することで、間接的なメリット・デメリットが生じる。

 具体例には、まず貿易が活発化することで、商社や倉庫業などがメリットを享受できる。また、TPPにより国家間のビジネス環境が収斂されるにつれ、日本固有の雇用規制にも圧力がかかる可能性もある。そうすると、雇用規制緩和が進むかもしれない。

 TPPにより直接的な打撃を被る産業としては農業が頻繁に挙げられるが、同時にTPPは日本の農業にとってイノベーションのチャンスにもなると指摘する意見もある。これもTPPの間接的な影響力を考慮しての意見である。

 例えば、日本の農業においては、TPPにより農地の売買が自由になることが期待されている。今の規定だと企業が農業に参入する場合は役員の何割かが農作業に従事しなければならないことになっている。これが変わらない限り企業の農業のハードルは高く、それでは農業にイノベーションを起こすことは難しい。

 そこで、この規定を変えるために、安倍政権も成長戦略の一環として農地法の改正を5年後に検討する、と昨年打ち出したが、まだまだ先の話である。しかし、TPPが締結されると、農業の競争力を高める圧力が否応なくかかるため、こういった規制改革も後押しされるのでは、と考えられている。

 医療の分野でも、直接的な打撃を受けることはないかもしれないが、今も特定の治療方法に限って例外的に認められている、混合診療が広がる可能性がある。

 混合診療とは、保険診療と保険診療外の診療を併用し、医療費に健康保険で賄われている分と賄われていない分が混在することを認めることである。混合診療が認められると保険外の治療が増えるため、保険外診療ができる都市部の大病院などに患者が集まり、町の開業医などが打撃を受ける。

 以上の通り、TPPはその直接的な効果への期待よりも、合意によりいろいろな日本固有の規制に改革圧力がかかる、というところに大きな期待が寄せられている。逆に言えば、それが反対派に警戒される理由でもある。

 TPPの直接的な経済メリットは約3兆円と報じられているが、上記に挙げたような間接的な経済メリットも含めると、TPPのメリットの総額は約10兆円との試算結果もある。(第35話に続きます)

永濱 利廣 氏
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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第33話)

第33話:TPPのメリットとデメリット

 改めて、環太平洋経済連携協定(TPP)のメリット・デメリットについて確認してみると、まず一番身近なメリットは、食料品などの生活必需品の値段が下がることである。

 ここ数年で勤め人の賃金は上がってきたが、消費は増えていない。その要因の1つに、円安による輸入品の値上がりがある。輸入品には食料品など生活必需品が多いため、輸入品の値上がりが消費マインドの冷え込みにつながってしまっている。

 TPPが合意できれば、輸入食料品の関税が下がるため安く食材を調達できる。これは一般消費者にとっては大きなメリットになる。

 産業に関しては、端的に言えば日本がもともと強い産業が得をする。例えば、自動車や自動車部品などがその代表である。

 今、自動車や自動車部品には輸出するのに高い関税がかかっており、特に自動車部品やトラック等には関税が25%もかかる。TPPが合意したとしても、この関税はすぐには劇的に低くはならないが、段階的にでも低くなれば相当なメリットになる。

 更に、輸入食料品が安くなることに関連して、食料品産業や外食産業にもメリットがある。輸入してくる原材料が安くなるからである。

 同じ論理で、実は衣料品業界にもプラスに働く。今の日本では、衣料品は殆ど海外で製造して輸入しているが、その逆輸入にも10%の関税がかかる。それがなくなれば、海外で製造して輸入するときに関税が安くなる分、安く売れる。

 ほかにも、海外の公共事業への入札も可能になる。東南アジア等の国での国営企業保護政策の緩和や、投資家対国家間の紛争解決条項(ISDS)もTPPに盛り込まれるため、日本企業が他国での建築事業に積極的になることも見込まれる。

 一方、デメリットを被るのは日本の農林水産業や畜産業である。今回の交渉でも、日本における米や牛肉の関税の行く末が注視された。

 米には、ミニマムアクセスといい、最低限日本が輸入しなければならない量を定める制度がある。日本はそのミニマムアクセスを10万トンに定めることを主張していた。

 一方で、アメリカなどは17万トン、もしくは18万トンと主張してきている。米に関しては決着がついていないため、今後、米に関してはアメリカ等の主張をのみ、自動車部品の関税期間を短くしてもらうといったバーター交渉が行われる可能性もある。

 日本における牛肉への関税は、元の38.5%から9%へと下がる可能性が高い。国産牛肉と輸入牛肉の競争が激化するのは間違いない。これを「大幅に関税を下げられた」「当初関税完全撤廃を要求されていたが、それでも関税を維持できた」と判断するかは人それぞれであろう。(第34話に続きます)

永濱 利廣 氏
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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第32話)

第32話:TPP、今回を逃すと今後も締結できない可能性

 そもそものTPPの前身は、2006年に締結された4カ国の経済連携協定である。

 ニュージーランドをはじめ、当初から加入している4カ国はいずれも経済連携に積極的な国だったので、基本的に関税はすべてなし、という方向性で話が進んでいた。それにもかかわらず、あとから入ってきたアメリカや日本が「聖域」などと言って、関税撤廃に反対した。こういったことも、今回のニュージーランドの反発につながっているわけである。

 逆に、なぜ“途中乗車”の日米がTPPをめぐる議論を乗っ取るほどに乗り気なのか。1つは、これまで高い関税障壁を掲げていた国ほど、経済連携協定から得られる経済的利益が莫大だからである。TPPにおいては、一番利益を得るのは高い関税障壁を掲げていた日本とアメリカになる。

 加えて、日米はアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対抗したい気持ちを持っている。欧米からしてみれば、AIIBは中国による、中国のための銀行である。環境問題や人権問題をまったく無視して暴走する可能性は否定できない。AIIBに歯止めをかける方法の1つに、環太平洋地域の中国以外の国々の間でビジネスの基本的なルールを統一し、連携を深めるTPPを締結することも考えられる。

 TPPは人やモノ、サービスが締結国間を自由に行き来できるようにする条約なため、締結国間での投資協定なども組みやすくなる。よって、中国の暴走しそうな投資を抑制する役割を期待でき、日米が乗り気になっているのである。

 最後に、もう1つ、日本がTPP締結に前向きになる理由がある。2国間だけで経済連携協定を結ぼうとすると、相手に有利な方向にうまくまとめられてしまうリスクがある。一方、多国間協定のTPPでは利害の対立する国と交渉をする際にも、利害が一致する国に「味方」になってもらいやすい利点がある。

 たとえば、もし日本とニュージーランドが2国間交渉をしていたとしたら、日本はニュージーランドの乳製品の関税撤廃の要求をはねのけるのに苦労したであろう。しかし、TPPでは、同じく乳製品の輸入を制限したいカナダやアメリカが日本の味方をしてくれた。

 日本としては8月末までにTPPの交渉を再開したいという気持ちがあった。しかし、8月頭には甘利明TPP担当大臣が「TPP閣僚会合の月内開催は難しい」との見解を示しており、“TPP漂流”の可能性も出てきた。このタイミングを逃すと、9月以降はアメリカで大統領選挙が盛り上がり始め、アメリカの政治家が有権者からの評判が芳しくないTPPから距離を置くことが予想される。(第33話に続きます)

永濱 利廣 氏
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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第31話)

第31話:TPP、なぜ合意見送りになったのか?
 7月、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は合意間近と報道されたが、結局合意は見送りとなった。その要因は、ニュージーランドの乳製品に対する関税への反対、との報道を目にした方も多いだろう。これまで、日米の交渉が焦点になっていたのに、急になぜニュージーランドが合意出来るかどうかを左右するのか? まずはそこから説明したい。

 TPPのメインプレーヤーは、経済規模的に考えても米国と日本である。日本側からすると、いかにアメリカと折り合いをつけるかが最大の焦点になっていた。後述するが、交渉参加国の間で揉めていた項目のほとんどでそれなりに歩み寄りができていた。

 しかし、最後まで米国が反発していた項目がある。新薬のデータ保護期間の短縮である。データ保護期間とは、新薬の製造販売を認められるために提出したデータが知的財産として保護される期間のことで、新薬の特許のようなものである。

 米国は新薬の開発が非常に強い。対して、新興国やニュージーランドを含むオセアニアの国々は新薬開発が強くない。

 開発力が高い米国が新薬の特許をなるべく長く保護したいのに対し、新興国やオセアニアの国々はその特許がなるべく早く切れることを望んでいた。保護期間が長いと似た成分でつくられた後発薬を販売することができず、新しく開発された製品を長い期間、高いお金を払って買い続けなければならないからである。

 そこで、データ保護期間として、ニュージーランドや新興国は5年を提示し、米国は12年を提示した。日本は、間をとって「8年ぐらいでどうか?」と折衷案を提案し、決まりかけていたが、ニュージーランドが「それなら、乳製品の関税をもっと安くしてほしい」と反発してしまった。

 この要求に困ったのは日本とカナダである。

 バターなどの乳製品の品不足にあるはずの日本が、なぜ乳製品の関税維持にこだわるかというと、安価なバターが輸入されると、酪農家が乳製品から牛乳の生産に切り替えるからである。

 そうすると、当然牛乳の供給が増え、牛乳の価格が下がる。結果、牛乳を作っても儲からなくなる……とただでさえ縮小している酪農が縮小する一方になってしまうのである。
 
 輸入ができる乳製品は生産されなくなっても問題ないが、牛乳は鮮度の問題があり、輸入が難しいので、国内の酪農があまりにも縮小すると困る。

 こうしてニュージーランドと日本が歩み寄れず、交渉が停まってしまった。これがことの顛末である。(第32話に続きます)

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