エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第164話)

第164話:実質賃金をプラスに持っていくには

 そもそもマクロ経済学上には「完全雇用」という概念があり、経済全体で非自発的な失業者が存在しない状態を示すとされている。そして、その状態における失業率を下回ると賃金上昇率が加速するということで「完全雇用失業率」と呼ばれている。従って、我が国でも非自発的失業者が存在しない失業率の水準が完全雇用失業率の目安となる。そこで、総務省「労働力調査」を用いて非自発的離職が存在しない場合の失業率を求めると、2010年頃までは3%程度で安定していたが、2017 年以降は2.1%まで下がっている。従って、完全雇用失業率の水準自体がここ7年で1%近く下がっており、賃金上昇率が加速するまで労働需給がひっ迫していない可能性が指摘できる。非自発的な離職者が多数存在しているということは、まだ労働供給の余地があることを示している。これが、失業率が下がっても賃金が上がりにくい理由の一つである。

 したがって、実質賃金をプラスに持っていくには、まず低下している完全雇用(非自発的離職者がいない)失業率水準にさらに近づけるべく、金融・財政政策の強化が必要となろう。

 また、日本で平均賃金の上昇を阻んでいるのは、人手不足感が低い企業や職種から人手不足感の高い企業や職種に人材が異動するような労働市場の流動化が乏しいことも一因と推察される。

 実際、厚労省「労働経済動向調査」の職種別過不足DIを見ると、管理や事務以外の職種で不足感が強いことがわかる。

 特に、労働市場の流動化を阻んでいる背景には、同じ会社で長く働くほど賃金や退職金等の面で恩恵を受けやすくなる日本的雇用慣行があると考えられる。

 また、特に就職氷河期世代では非正規で雇われた労働者も多い。そして、こうした非正規化が職場内訓練(OJT)の機会を減らし、若手で経験し、身につけるべきスキルを身に着けられなかったことで生産性低下を招き、結果として賃金を上がりにくくしている可能性もあろう。また、労使協調のもと、苦境でも賃下げしないことが、逆に賃上げを抑制してしまう日本企業独特の慣行もある。

 従って、職業訓練や支援金等を通じた転職支援の充実は、労働市場の流動化を高める経済対策としても有効である。また、労働市場の流動化を妨げている賃金や退職金制度における年功序列体系の改革を進めるためにも、正社員の解雇規制緩和も必要となってこよう。更に、賃金を柔軟に変動させる仕組みの導入や、経営戦略上必要な人材育成に企業が取り組みやすくなる環境を整備することも求められよう。(第165話に続きます)

永濱 利廣 氏

第一生命経済研究所
経済調査部 首席エコノミスト
永濱利廣

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第163話)

第163話:脱デフレ宣言の幻想

 安倍政権は2012年の政権発足以来、デフレ脱却を政権の最優先課題としてきた。そして、安倍政権はデフレ脱却の目安として4指標を重視しているとされており、2018年1-3月期時点では3四半期連続でこの4指標が揃ってプラスとなった。具体的には、小売り段階の物価動向を示す①消費者物価指数に加えて、国内付加価値の単価を示す②GDP(国内総生産)デフレーター、国内付加価値あたりの労働コストを映す③単位労働コストの3つが前年同期比プラスとなった。また、国内経済の需要と供給のバランスを示す④GDPギャップも、需要超過を示すプラス幅が縮小するもののプラスは維持された。こうしたこともあり、政府は物価が持続的に下落する環境ではなくなっているとしている。

 ただ、2018年1-3月のGDPデフレーターは前年比ではプラスになったものの、前期比ではマイナスとなっており、低下トレンドが続いた格好となっている。背景には、原油価格など輸入価格の上昇で国内付加価値の単価が下がったこと等がある。従って脱デフレ宣言には、原油価格の上昇にも耐えうる購買力を確保するためにも、賃金が持続的に物価上昇率を上回って上昇する、すなわち実質賃金がプラスを維持できるかがカギを握る。

 そうした意味では、脱デフレ宣言に向けて最大の注目イベントが春闘であった。しかし、今年の春闘はやや期待はずれの結果となった。というのも、日本経済新聞社がまとめた2018年の賃金動向調査(一次集計:4月3日時点)によれば、平均の賃上げ率は2.41%と1998年以来20年ぶりの高い水準になったものの、政府の目指す3%には達していない。また、過去の賃上げ率実績と連動性の高い毎月勤労統計の所定内給与(一般)によれば、1998年度の上昇率は+0.8%にとどまっている。そうなると、過去の春闘賃上げ率と一般労働者の所定内給与の関係に基づけば、今年の名目賃金は+1%程度上昇すれば御の字といった状況だろう。

 つまり、今年の消費者物価上昇率が+1%程度の範囲内に収まれば、昨年2年ぶりに減少に転じた実質賃金は今年上昇に転じることになる。しかし、タイミングの悪いことに、昨年の夏から足元にかけて原油価格が上昇した。このため、直近となる2018年1-3月期の名目賃金は前年比で+1.4%の増加となったが、名目賃金を実質化する際に用いられる消費者物価指数(帰属家賃を除く総合)の上昇率がそれを上回る同+1.6%に達したため、実質賃金は同▲0.2%まで下落していることになる。

 過去の春闘賃上げ率と名目賃金の関係を見ると、少なくとも名目賃金が前年比+1%程度伸びるためには、春闘賃上げ率が2.6%近くまで到達しないと困難といえる。しかし、先の通り今年の春闘賃上げ率が最終的には2.4%程度に落ち着く可能性が高い。そうなると、恐らく今年も2年連続で実質賃金がマイナスになる可能性が高いだろう。従って、実質賃金がマイナスの状況が続く中では、年内に政府が脱デフレ宣言することは困難と言えよう。(第164話に続きます)

永濱 利廣 氏

第一生命経済研究所
経済調査部 首席エコノミスト
永濱利廣

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第162話)

第162話:景気拡大と財政再建の両立に大きな課題

 長期金利はマイナス金利の影響で2016年3月からはマイナスに沈んだが、その後は日銀のイールドカーブ・コントロール導入により2016年12月からプラスに転じた後、現在は+0.0%台の水準にある。

 2016年9月から長期金利が上昇したのは、日銀がイールドカーブ・コントロールを導入したことと、トランプラリー等により景気が回復しそうだとの観測を反映した面が大きい。基本的に景気が良くなる期待が高まれば、物価上昇期待も高まり、金融緩和の出口の可能性が出てくるため、長期金利の上昇要因となる。

 ただ、近年では日銀のイールドカーブ・コントロール導入により日本と海外の間で長期金利の連動性が低下しており、海外の金利が国内の長期金利に及ぼす影響が小さくなっている。こうしたイールドカーブ・コントロールの枠組みは、世界経済が良いときは緩和効果が増幅されるが、世界経済が悪いときは金融引き締め効果にもなりうるため、金融緩和の効果を見通す上で海外の景気や物価、金利動向などの注視が必要だ。

 こうした中、日本の財政は深刻な状況にあるといわれている。経済協力開発機構(OECD)によれば、日本における一般政府(国と地方自治体など)の債務残高は名目国内総生産(GDP)比で200%を超え、主要先進国中で最大である。時系列で見ると、リーマンショックに伴う世界金融危機とともに急速に膨れ上がったことがわかる。

 ただ、新規国債発行額は2013年度以降減少に転じ、2018年度には33.7兆円まで低下する見込みだ。これは歳入面で企業収益増加により法人税収入が大幅に増えて税収が増加したことに加え、歳出面では社会保障の効率化効果が表れたためである。

 財政破綻を回避するには、名目GDP比で上昇が続く政府債務残高の持続的な上昇を止める必要があり、政府は2025年度に国と地方の基礎的財政収支の黒字化目標を先延ばした。基礎的財政収支とは、債務返済や利払い費を除いた歳出と、国債などの借金を除いた歳入との収支を指す。

基礎的財政収支が均衡すれば、その年の政策に必要な経費を税収で賄え、必要な公債発行は過去の債務の元利払いに充てる分だけになる。さらに名目GDP成長率と債務の名目金利の水準が等しくなれば、債務残高はGDP比で一定となる。

 2018年度の国と地方を合わせた基礎的財政収支は当初予算ベースで約10兆4000億円の赤字となっている。これをもって、日本の財政は依然永続的に維持できる状況になく、赤字解消のために歳出削減や増税が必要であるとする向きもある。ただ、歳出削減や増税は景気を抑制する効果があり、現在のように先行き不透明感が高まっている中での増税は、税の大幅な自然減収に結びつく可能性もある。

 事実、日本は橋本政権時の1997年に景気が底割れし、増税にもかかわらず財政構造改革自体が頓挫した経験を持つ。同じ過ちを繰り返さないためにも、政府は景気動向を慎重に判断し、景気拡大と財政再建が両立するような政策運営が求められる。(第163話に続きます)

永濱 利廣 氏

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第161話)

第161話:日銀の「ステルステーパリング」が家計や為替に与える影響

 日銀が公表する「マネーストック」は、金融機関以外の企業や個人等が保有している通貨を合計した統計であり、物価と並んで実体経済の状態を示す指標とされている。しかし、近年は実体経済との関係が不安定となっている。

 マネーストックの中で最も代表的な統計は「M2」である。これは、現金と要求払預金を示すM1に、定期性預金と外貨預金と譲渡性預金を合わせたものである。そして、M2に金融債、銀行発行普通社債、金銭信託、その他の金融商品等を加えたものが「広義流動性」と呼ばれる。

 2017年度の後半以降はM2も広義流動性もマネタリーベースの伸び鈍化により鈍化傾向にある。これは、日銀がステルステーパリング(中央銀行が密かに量的金融緩和を縮小)を行っていることにより、マネタリーベースの伸びの鈍化がマネーストックに波及していることを示す。ステルステーパリング前の2016年はチャイナショックや英国の国民投票リスクを意識してリスク性資産から現預金へのシフトが見られ、M1の伸びは加速したが、2017年以降はM2や広義流動性の伸びが鈍化する中でもM1の伸びが減速している。このように、実体経済が減速感の兆しを強める中、資金取引を包括的にとらえるマネーストックの先行きにも不透明感が漂っていることは、日本経済の先行き懸念材料の一つである。

 一方、外国為替相場は、短期的には国際貿易や資本・金融取引から生じる外国為替取引の需給関係によって決まる。国際貿易では輸出でドル建てのもうけが出れば円に換えようとするため、円の需要が増え円高圧力が高まる。

 しかし、近年では国際貿易より国際的な資本・金融取引の規模が拡大し、影響力を増している。そうした取引は投資した資金から将来どれだけの収益が上がるかに基づいて行われ、金利の低い国から高い国へ資金が流れやすい。このため、為替相場は自国と外国のインフレ率を加味した実質金利の差の影響を強く受ける。

 実際、日米間の金利差と為替相場の動向を見ると、2013年以降は金利差の拡大で、円安・ドル高に進んでいる。しかし、2014年の後半以降は金利差が縮小したが、日銀が量的緩和政策を強化したため、円安ドル高となった。その後、2015年半ば以降からチャイナショック等により金利差見合いで割安だった円が増価し、2016年秋の米国大統領選挙を受けた金利差拡大でドル高円安に進んだが、足元ではトランプ政権に対する不透明感の高まりなどで、金利差拡大する中での円高ドル安相場がもたらされている。

 各国通貨の交換比率である為替レートが注目されるもう一つの理由は貿易への影響である。円高になれば円建てで同じ価格でも輸出時にドルに直すと割高となり、輸出競争力が失われ、やがて景気の下押しにつながる。一方、円高には海外からの輸入品に対する購買力が拡大する恩恵があるが、日本は経常黒字国であり、円高は景気に悪影響を与えやすい。このように、為替相場は経済の動きを受けて変動する一方で、貿易や金融取引を通じて経済に影響を与えている。(第162話に続きます)

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エコノミスト永濱利廣の経済コラム (第160話)

第160話:求められる機動的な財政政策

 足下の経済動向について、筆者は非常に危機感を抱いている。背景には、2月以降の株価の下落速度がアベノミクス以降で見ると非常に大きかったことがある。実際、2012年12月のアベノミクス以降の日経平均(月平均)の下落幅を大きい順に並べると、過去最大の下落幅を記録したのがチャイナショック第二弾であり、その次がチャイナショック第一弾となっている。実にその次が2013年6月のバーナンキショック後と今回の株価下落であり、非常に大きなマーケットの調整が起こったことがわかる。

 こうした状況は、既に実体経済にも影響が出ている。アベノミクスの根幹はいかに好循環で賃金を上げるかというところだが、そこに赤信号がともっている。今年の春闘の賃上げ率を見ると、金融システム不安で経済が大きく混乱した1998年以来の水準となりそうである。しかし、1998年度の名目賃金上昇率は一般労働者の所定内給与で+0.8%にとどまった。一方で、原油価格の上昇などにより今年の消費者物価指数の上昇率が1%程度となる可能性があることに加えて、働き方改革の影響もあり残業代収入が減っていることからすれば、今年の実質賃金は2年連続のマイナスの可能性もある。つまり、このまま放置しておくと、今年の日本経済は相当厳しいことになることが想定される。

 以上を勘案すると、日本経済が取り組むべき課題としては、需要刺激策が非常に重要だと考えられる。既に2017年度の補正予算という形で政策がまとめられているが、事業総額を見ると2.7兆円とアベノミクス以降最小規模にとどまっている。相対的に財政規律への配慮が見られる予算となっているが、2016度補正に比べて公共事業費は少なく、非常に力不足である。

 一方、公共事業について、よく建設現場で人手不足ということを言われてきたが、建設労働者の労働需給判断DIを見ると、不足感は緩和の方向にある。また、日銀がイールドカーブ・コントロールを導入している面からも、今、安倍政権始まって以来、最も機動的な財政政策の効果が出やすい時期になっていると考えられる。

 このため、公共事業も一定割合は増やす必要があろう。具体的には、特に介護施設や保育所の増設については昨年度の補正予算では不十分であるため、そうした方向性の増額も考えられるだろう。また、国内の空港整備や港湾インフラといった日本全体の国際競争力が増すような公共投資であれば、国民にも理解される可能性が高いと考えられる。

 さらには、数年前にトンネルが崩落した事故もあったように、老朽化インフラの整備も重要である。日本のインフラは50年以上前に建設されたものが多くを占めるため、老朽化インフラ整備については、本気で取り組めば甚大な需要が存在する。こうしたメニューを上手く取捨選択して、いかにワイズスペンディングという形ができるかが重要であろう。(第161話に続きます)

永濱 利廣 氏

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