第137話:「卒業」して次のフィールドに立つ季節ですが。
桜の時を超えて、そろそろ夏の訪れを感じる時。学校を卒業して異なる環境に飛び込んだ若者が、時に気迷いの場面に陥る時とも言われています。しかし、朝夕に出会う人たちを見て、改めて「卒業」を考えることがあります。
小学校を卒業して中学校へ、中学校を卒業して高校へ・・・と、一つひとつのステージの展開を変えながら上っていきます。そのステージで、自らが何を学び、何を得たかによって、次なるステージでの振る舞いを予見する節目にもなります。そこに「卒業」の意味があるように思えます。ある時は、直前の自分を振り返り、あわせて来るべき次のことを予見・予測して、期待と不安の中に迷い込むことがあるもの。しかし、何れにせよ今までとは異なる自分を夢想する節目であることに違いはありません。
あるステージに立ったならば、こうあらねばならない,かくあるべし、といった堅苦しい規定の枠組みを提示しようとは思いません。しかし、何らかの変化の積み重ねが、個人的な生長を支援することは間違いありません。気づいた変化の積み重ねが、自らの進化に繋がるからです。どうもその変化の積み重ねが、今の時代は乏しいように感じます。「卒業」しない、あるいは出来ない人を多く見かけるのです。
なりとしては30代の勤め人風なのですが、その振る舞いが何とも幼稚。自我を振りかざして、他者への眼差しを感じさせない人に出逢います。目を通す視覚情報が“少年”の名のついた漫画週刊誌。見かけは20代にもかかわらず、その前の学生ステージを卒業せぬままに今を迎えたような若者。青臭い人生哲学の話を聞きたいとは思いませんが、それにしても若者の会話の主題にTVゲームのキャラクター以外を聞くことがない場面に遭遇します。
四角四面の枠をはめ込むことに納得は出来ませんが、自らのステージを一歩進化させるべき「卒業」は、季節を超えた日常の中で起きている自分自身の振る舞いへの気づきの中にあるように思えます。
「卒業」しないのは学生に限ったことではありません。自らのステージを変えて、進化を想い続けた自分。半世紀近く前に大学を「卒業」した自分の今を振り返ることがあります。(第138話に続きます)
2016年11月の九州生産性本部での授業風景 株式会社マップス 代表取締役 清野 裕司
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今、経営に新たな思考力が求められています。市場にはどのような風が吹いているのでしょうか。風の音に耳を澄ませていると、次代に向けた風の通り道から、マーケティング思考で未来への道標が浮かんでくるかもしれません。それはまた、自分の心に吹く風の音を聴くことにも繋がるのではないか考えました。
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