No.37 Be Do Have

キリストは「持てる者はますます富み、持たざる者は更に失う」と言っている。特に資本主義は金持ちをより豊かにし、貧しい者たちをますます貧しくした。また神は生まれた場所や家ですでに持てる者と持たざる者を分け、さらに才能だって持てる者と持たざる者を分けてきた。

人は豊かさを求めるがため、持てる者を時には羨むが、たいていは尊敬し従順に従わざるえない。持てる者の言うこと聞かなければ、職を失い、家を失い、時には家族さえも奪われるからだ。そして持てる者はますます豊かになっていく。…..持たざる者は生まれながら自由すらも得られないのだろうか。

持たざる者は、常に持てる者に近づくために、彼らの機嫌を伺い、嫌でもやらねばならな事に常に振り回され生きる。持たざる者の行動はいつもHave to Do なのだ。Have のためには自分のDo をtoでくっつけねばならない。「やらなければならない」という意味になる。

自分の生存、あるいは家族のために「やらなければならない」のが今の世なのかも知れない。が、本当に生きるために嫌でもやらなければならないことがそんなにたくさんあるのだろうか。もちろん今日より明日が豊かになってもらいたい。しかし、今日より明日は自由がなくなっている。

嫌でも「やらなければならない」のであれば、しかたない。やりたいふりをするか、やりたくなるように洗脳されてしまうかが大人の生き方ってわけだ。これがちょっとでもひずみ出すと、うつ病とかの精神の病気だけでなく、体自体もおかしくなってしまう。

お金にしろ、血筋にしろ、才能にしろ、生まれた時からある程度は決まっているが、それを努力という宗教的な呪縛でもって、一所懸命頑張って少しでも豊かにと、持てる者に近づこうと躍起になる。でもキリストははっきり、持たざる者は更に失うと言っているではないか。自由すらも失ってしまう。

これはまさに持たざる者の奴隷的生き方ではないか。決して間違えてはいけない。我々のGoalはHave(持っているか持っていないか)にしてはいけないことを。確かに生まれながらいろんな意味で不平等に我々は存在するように見えるが、それは単にいろんな人生の下に生まれているだけなのだ。それを金や才能でという物差しで測れば不平等だというだけである。人間が勝手に決めた物差しで見ているだけだ。

真実はといえば、同じ時代に生きた人々はこの世に平等に命があるということだ。確かに、たった今生まれた人もいれば、今にも死にそうな人もいる。寿命だって長さは不平等である。しかし、今現時点で見れば、Be 生きているという紛れもない事実が存在する。つまり、人も社会もHaveからではなくBeから考えた方が自然だ。

生きていることから始まる。思考や行動はそこからスタートさせなければならないのだ。なのにHaveから議論を始めるは、自由を最初からあきらめているようなものだ。自由なんかいらない。奴隷的な生き方が平和でよしとする人もあろうが、それではちと寂しい。

もし、GoalをHaveからBeに変えて考え始めると、目の前には自由という海原を見る。その海原は時には嵐にも見舞われるが、運を片手に大海に乗り出すという自由を手にできるのだ。

Goalを目指すためにはWantがなければならない。しかし、Want to haveをGoalにすると自由を謳歌できませんよ。と言っているのだ。まずは、金が欲しい。家が欲しい。名誉がほしい。というHaveを捨て去ることがから始める。

なんでも自分の物にしようとする萬集癖と、人を比べたり、人まねすることをよしとする資本主義のHaveから始まる考え方から脱却していかなければならない。Goalのために重要なのはWant to Have ではなく、Want to Be なのだ。まずは生存したい。そして、何かになりたい。なのだ。

これをGoal として考えることから始めなければならないのだ。その前にBeとは何かを考える。社会で言えば、Be は文化であろう。自分らにあった居心地がいい環境を皆で、何世代にもわたって築いていったものを文化と言ってもいいだろう。

個人でBe は、職業とかもかかわってくるかもしれないが、家庭や社会でなんかの部分の役割を持つことかもしれないし、時には礼儀正しい人とか律儀な人とか、明るい人とかの社会に貢献するその人の性質をさす場合もあろう。

Beは文化であり、個人ではそれがcomfort zone(居心地のいい状況)になる。誰だって居心地のいい状況が続くのが一番いいのだ。例えば金の例を出した方がわかりやすいので使うが、自分は年収500万円ぐらいの人間だと思えば、1億円の宝くじが当たると浪費してしまう。一方失業して100万円ぐらいになると、何とかしなければならないと自然と思う。

500万円がその人のcomfort zoneなのだ。間違っていけないのは、comfort zoneがGoalではない。Goal はWant to Beなのだ。金の例を再度出せば、年収1億円のものになると思うことがWant to Beである。しかしWant to have 1億円ではだめでBeから入るというが重要だ。Goalには金や物ではなく、自分がどうなりたいかを設定する。

もちろん今、Have nothing 元手になる資金もなければ才能もなくていい。まずは自分のBeを作ることだ。自分は、人と比べることも、人がまねることもできない何者かであるという自分を作ることだ。その自分は夢物語に近いことでも全然かまわない。

重要なのは、まず信じ思い続けることだ。そこにはHaveがなくても、Be VS 現実の中で自由な発想が生まれる。そこに知恵が生まれる。これがやがて生きる力になる。自分に必要なDoがわかるようになると仲間ができる。そしてBe Doing というようにBe とDoが有機的につながる。今やりたいことをやっている、やろうとしているDoになる。

何度失敗しても常にWant to Be を言い続けよ。ルフィーのごとく「俺は海賊王になる」と。できれば声高に。そこから全ての物語が始まるのだ。これが人生なのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です